『青い嘘』青の正体

『青い嘘』青の正体のタイトル画像。 短編ミステリー
『青い嘘』― 青の正体

翌日。

私は開館前から、昨日印刷した新聞記事を机の上に広げていた。

二十年前のタイムカプセル。

五歳の藤崎真帆。

そして、その隣に立つ母親らしい女性。

写真の中の二人は、白い封筒を手にしていた。

七日後。

タイムカプセルは開封される。

もし水野さんが本当に藤崎真帆なら、あの中には彼女か母親の手紙が残っている可能性が高い。

そして誰かが、参加者名簿を探している。

そこまでは分かった。

けれど、一つだけ説明できない。

消えた本だ。

名簿だけが目的なら、なぜ本までなくなったのか。

私はもう一度、防犯カメラを確認した。

午後三時十二分。

高瀬さんが本を持ってカウンター裏へ入る。

午後六時前。

本がないことに気づく。

その間、問題の机へ近づけたのは、少なくとも職員だけ。

そして水野さんは、映像上では本に触れていない。

私は映像を止めた。

何度見ても同じだった。

水野さんは嘘をついていない。

だったら。

青のほうが間違っている。

私はその考えを、初めてはっきり認めた。


昼前。

私は休憩室で水野さんと二人きりになった。

「少し聞いていい?」

水野さんは警戒するように私を見た。

「昨日の続きですか」

その声は、すでに薄く青かった。

私は新聞記事のコピーを机に置いた。

藤崎夫妻。

五歳の娘、真帆。

水野さんは記事を見た瞬間、表情を変えた。

「調べたんですね」

青。

「藤崎真帆さんって、あなた?」

しばらく沈黙が続いた。

やがて水野さんは、

「はい」

と答えた。

青。

私は息を止めた。

今の答えは、本当のはずだ。

新聞記事。

年齢。

本人の認めた言葉。

それでも青い。

「もう一つ聞くよ」

私は続けた。

「昨日、あの本には触ってない?」

「触ってません」

青。

「名簿は?」

「触ってません」

青。

「タイムカプセルを開けられたくない?」

その質問だけは、すぐに答えが返ってこなかった。

水野さんは視線を落とした。

「……はい」

深い青。

私は椅子の背にもたれた。

全部青い。

嘘。

本当。

隠していること。

認めたこと。

区別がない。

だったら青は、真偽を示しているわけではない。

私は慎重に尋ねた。

「タイムカプセルのことを考えると、緊張する?」

水野さんが顔を上げた。

「緊張っていうか……嫌なんです」

「嫌?」

「思い出したくないんです」

青。

「何を?」

水野さんは唇を結んだ。

そのときだった。

私は気づいた。

青になる直前。

ほんの少しだけ、水野さんの息が浅くなる。

声の出だしが硬くなる。

音程がわずかに上がる。

普通なら気づかない程度の変化。

けれど私は、昔からそれを聞いていたのかもしれない。

そしてその変化を――

青として見ていた。


私は話題を変えた。

「今日のお昼、何食べる?」

「え?」

突然の質問に、水野さんが目を丸くした。

「コンビニ?」

「たぶん」

黄色。

「昨日、雨降ったよね」

「降りましたね」

黄色。

「高瀬さん、今日ちょっと機嫌悪くない?」

「そうですか?」

黄色。

そして私は、もう一度聞いた。

「二十年前のタイムカプセル、覚えてる?」

水野さんの肩がわずかに固くなった。

「少しだけ」

青。

はっきりした。

私は頭の中で、これまでの経験を思い返した。

「宿題は終わった」

青。

「怒ってない」

青。

「ちゃんと連絡した」

青。

あれらも、本当に「嘘」そのものへ反応していたのだろうか。

宿題をやっていない子どもは、ばれるのを恐れていた。

怒っている人間は、感情を抑えようとしていた。

連絡を忘れた人間は、責められることを怖がっていた。

共通していたのは――

緊張。

あるいは、

知られたくないことを意識したときの声。

私はずっと、原因と結果を取り違えていた。

青くなったから嘘なのではない。

人が嘘をつく場面では緊張することが多いから、結果として青く見えることが多かった。

そして私は、

青く見えて、本当に嘘だった記憶ばかりを覚えていた。


「水野さん」

私は言った。

「あなたが嘘をついてるんじゃないことは分かった」

水野さんの表情が変わった。

「え?」

「少なくとも、本に触ってないという話は信じる」

「どうして急に?」

「私が間違ってたから」

「何を?」

私は一瞬迷った。

共感覚のことは、これまで誰にも詳しく話してこなかった。

けれど、今は説明する必要があった。

「人の声を聞くと、色を感じることがあるんだ」

水野さんは黙っている。

「あなたがタイムカプセルの話をすると、私には声が青く感じる」

「青?」

「今まで私は、青は嘘の色だと思ってた」

少しの沈黙。

その後、水野さんは、

「それで私を疑ってたんですか」

と言った。

青。

でも、もう私はその色を嘘だとは思わなかった。

「ごめん」

私は頭を下げた。

水野さんはしばらく何も言わなかった。

やがて、

「別にいいです」

と言った。

やっぱり青かった。

そして、その言葉が本心ではないことくらい、色を見なくても分かった。


「でも」

私は続けた。

「タイムカプセルについて何か隠してるのは本当だよね」

水野さんは私を見る。

「それは、声の色じゃなくても分かる」

長い沈黙。

そしてようやく、水野さんが口を開いた。

「私の母は、藤崎由美子っていいます」

新聞記事の写真に写っていた女性。

「十二年前に、水野という人と再婚しました。私はそのとき養子になって、名字が変わりました」

それ自体は何も不自然ではない。

「タイムカプセルのときは?」

「父もいました」

「藤崎さん?」

「はい」

青。

今度は、意味が分かった。

話すこと自体が苦しいのだ。

「その後、両親は離婚しました」

水野さんは続けた。

「私は母についていきました」

「タイムカプセルの中には?」

「父への手紙があります」

私は予想していなかった答えに黙った。

「五歳のあなたが?」

「はい」

「何て書いたの?」

「覚えてません」

青。

だが、嘘かどうかはもう分からない。

「母も手紙を入れています」

水野さんは言った。

「誰宛て?」

「父です」

私は少しずつ事情を理解し始めた。

「それを開けられたくない?」

水野さんはうなずいた。

「母が嫌がってるんです」

「どうして?」

「分かりません」

青。

私は何も言わなかった。

水野さんは続けた。

「数週間前、市から通知が来ました。タイムカプセルを開けるって」

「参加者に?」

「今の住所が分かる人には送っているみたいです」

「それで?」

「母が急に、昔のことを調べ始めました」

その瞬間。

私は昨日の電話を思い出した。

名乗らなかった女性。

若い声。

参加者名簿。

「図書館へ電話したのは、お母さん?」

「違います」

即答だった。

青。

けれど、今の私には判断できない。

いや。

判断してはいけない。

私は事実だけを見ることにした。


午後。

消えた本が見つかった。

発見したのは、高瀬さんだった。

「ありました!」

声を聞いて、私は郷土資料コーナーへ走った。

本は本来の棚から離れた、地域史の別の区画に入っていた。

背表紙の色が似た大型本の間。

一冊だけ、奥へ押し込まれるようにして収まっていた。

『わたしたちの町 二十年の記録』

間違いない。

「誰かが間違えて戻したんでしょうか」

高瀬さんが言った。

私は本を受け取った。

表紙。

背表紙。

目立った傷はない。

ページをめくる。

そして最後まで確認する。

名簿は――

なかった。

「やっぱり」

高瀬さんが小さく言った。

本だけ戻ってきた。

名簿だけが消えている。

だが、私は違和感を覚えた。

本が見つかった場所だ。

そこは問題の机から離れている。

誰かが机から持ち出し、書架まで運んだなら、防犯カメラに映っているはずだ。

私はすぐに映像を確認した。

そして――

見つけた。

午後四時五分。

映像の中に、問題の本が映っていた。

持っているのは、

私だった。


私は画面を止めた。

「……え?」

記憶がなかったわけではない。

午後四時五分ごろ、私は返却された資料を何冊か運んでいた。

その中に一冊だけ、机の上に置かれていた本を重ねた。

それが問題の本だった。

「これ、私が動かしてる」

高瀬さんも映像を見る。

「あ、本当だ」

私はその後の映像を追った。

午後四時八分。

私は郷土資料コーナーへ向かう。

何冊か棚へ戻している。

そのうちの一冊を、間違った場所へ差し込んでいる。

問題の本だった。

急に全身の力が抜けた。

本を動かしたのは――

私だった。

盗難ではない。

ただの返却作業のミス。

私は机の上に置かれていた本を、返却本だと思い込んで片づけた。

それだけだった。

「全然覚えてませんでした」

私は呟いた。

「忙しかったですからね」

高瀬さんが苦笑する。

事件でも何でもない。

少なくとも、

本が消えた謎については。

しかし、一つだけ残った。

「名簿は?」

私は言った。

高瀬さんの表情が止まる。

私が本を動かした午後四時五分。

その時点で名簿が挟まっていたかどうか。

私は覚えていない。


もう一度、映像を見る。

本を持ち上げた瞬間。

私は画面を拡大した。

紙が落ちた様子はない。

本を開いてもいない。

では名簿は、その時点ですでになくなっていた可能性がある。

高瀬さんが本を置いたのは、午後三時十二分。

私が動かしたのは、午後四時五分。

名簿が消えたとすれば、その五十三分間。

机のある場所へ近づいた人物を確認する。

私。

高瀬さん。

水野さん。

だが水野さんは、問題の通路へ入っていない。

私は四時五分が最初。

つまりその前に机へ行っている人物は――

高瀬さんだけだった。

私は画面を巻き戻した。

午後三時二十六分。

高瀬さんが再び死角へ入る。

昨日、本人は言っていた。

「電話のメモを取りに行った」

そして、

「本には触っていない」

声は薄い緑だった。

青ではなかった。

私はその言葉を信じた。

なぜなら、

青ではなかったから。

だが、青が嘘の色ではないのなら。

緑が真実の色である保証もない。

私はゆっくり顔を上げた。

自分が最初から見落としていた人物。

水野さんを疑った理由は青。

高瀬さんを疑わなかった理由は緑。

どちらも、推理ではなかった。

ただの思い込みだった。


「高瀬さん」

私はできるだけ普通に呼びかけた。

「はい?」

「三時二十六分に、机へ戻ってますよね」

「昨日も言ったじゃないですか。電話のメモを――」

「名簿には触ってませんか?」

一瞬だった。

ほんのわずかに。

高瀬さんの呼吸が変わった。

そして、

「触ってません」

と答えた。

薄い緑。

いつもの色。

でも今の私は、もう色を信用しなかった。

「そうですか」

私はそれだけ答えた。


その日の閉館後。

私は昨日の電話メモをもう一度見た。

使われていない携帯電話番号。

名乗らなかった女性。

参加者名簿について尋ねてきた人物。

何かがおかしい。

ふと、数字を見ていて気づいた。

電話番号は十一桁。

しかし――

最初の三桁のあと。

数字の並びに、妙な癖があった。

私は図書館の内線表を取り出した。

職員用の連絡先一覧。

そこに記載された番号と見比べる。

最後の四桁。

同じだった。

偶然かもしれない。

私はさらに古い職員記録を調べた。

十八年前。

参加者名簿を市役所から取り寄せた司書。

吉岡恵美。

退職後の緊急連絡先が、古い職員台帳に残っていた。

その番号を見た瞬間。

私は息を止めた。

昨日のメモに書かれた番号。

一桁だけ違う。

高瀬さんが聞き間違えたと説明していた番号。

その一桁を直すと――

吉岡恵美の古い連絡先と一致した。

私はすぐに番号を入力した。

呼び出し音が鳴る。

一回。

二回。

三回。

やがて、

「はい」

女性の声がした。

私は名乗った。

図書館の名前を伝える。

そして尋ねた。

「吉岡恵美さんでしょうか」

短い沈黙。

「そうです」

私は続けた。

「二十年前のタイムカプセルについて伺いたいことがあります」

電話の向こうで、息を呑む音がした。

そして次の言葉を聞いた瞬間。

私は椅子から立ち上がった。

「その名簿なら、昔、私がコピーしました」

「どうしてですか?」

「頼まれたんです」

「誰に?」

しばらく答えはなかった。

やがて吉岡さんは言った。

「参加者の一人に」

「名前は?」

そして彼女が口にしたのは、

水野でも。

藤崎でもなかった。

高瀬。

私は何も言えなかった。

電話の向こうで、吉岡さんが続ける。

「高瀬さんのお母さんですよ」

その瞬間。

すべての前提が、また崩れた。

高瀬さんは、ただ本を管理していた職員ではない。

彼もまた、

二十年前のタイムカプセルに関係する人間だった。

そして私は思い出す。

高瀬さんが最初に言った言葉。

「問い合わせがあったので、私が棚から出しました」

あの電話は、本当に外からかかってきたものだったのか。

参加者名簿は、本当に三時十二分まで挟まっていたのか。

何より――

なぜ高瀬さんは、名簿についてここまで詳しく知っていたのか。

私はようやく理解した。

この謎で信用してはいけなかったのは、水野さんの声ではなかった。

私自身の「色の解釈」だった。

そしてその思い込みの陰で、

本当の嘘は、

ずっと青くない声で語られていた。

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